短編の断片 #2
今日も晴れ。雲がいよいよ「夏み」を帯びてもこもこしてきた。
どうしようどうしよう夏が終わってしまう
心の中の絲山秋子がそう叫んだのも束の間、職域での些細ないざこざが暗雲のように立ち込め溜息をつく。人に言わせりゃ指のささくれ程度の気鬱だが、堪える時は堪える。
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昨日購入した小説新潮2021年8月号を通勤電車でぱらぱらやる。巻頭の怪談特集「ずっとこわいはなし」が目的ではなく、「こんな時代の読書日記」という日記リレーに小西康陽さんが参加しているのです。
しかし読んでみると、やはりというか、名画座通いを中心とした映画にまつわるエッセイ、といった趣だった(笑)
小さな物足りなさを感じつつも、何箇所かマーカーを引きたい表現があり、今回も流石、でした。
中でも「おや?」となったのは、氏が偶然手に取った、いつ買ったかも忘れていたという一冊、辻原登『遊動亭円木』についての短い記述。
なにこれ、面白い。
小西康陽と辻原登は、思いもかけない接着だ。誰が何を読んでる、というミーハーな関心こそが「読書日記」の醍醐味なのだ。
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辻原登で一番好きな短編「塩山再訪」(家族写真 収録)。
どうやら訳有りの交際相手であろう「有子」を連れ、30年ぶりに訪れた「私」の故郷。語り手である「私」は、言い知れぬ不安を抱えたまま、懐かしい風景に覚醒していくのだが、その不穏な筆致こそが著者の魅力。ミステリーでもないのに、時空を往来しながら迫り来る、リアリズムの応酬にはひたすらどぎまぎする。「有子」の薄い存在感もただただ怖い。
故郷を離れ生きる我が身にも、深く深く染み入る一編。
新潮文庫の「日本文学100年の名作第9巻」にも収録されている。
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曽野綾子「暗い長い冬」(異形の白昼 収録) 。
自分にとっての(初)曽野綾子だった。日本を遠く離れ、霧の深い北国で暮らす父と息子。息子は日本から持ってきた「カチカチ山」の絵本を手離さない。やがて久し振りに日本の友人を父は迎えるのだが。
怖い怖い怖い。
短編というテンポの加速度が、この恐怖のヴァイブスに輪をかけている。
夜霧を仄かに照らすナトリウム燈。北国に不釣り合いな中華料理店。無口な息子。火の途絶えた暖炉。カビ臭い空き間。父子が此処に至った理由。
あー怖。
よくぞまあこの頁数で、これだけの舞台をビルドアップ出来たものだ。この作家の入り口としていかがなものかとも思うが、これでいいのだ。
短編というフォーマットの奥深さをまたしても心得たのだった。例え映像化しても、この「恐怖」は再現不能であろう。筒井康隆も「文句なしの名作」と解説を締めくくっている。