また何かそして別の聴くもの

だらだら坂から - 日々のヴァラエティ・ブック

周馬と謙一、または、ちょっとピンボケ。

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何がきっかけというわけではないが、安田謙一著「ピントがボケる音」(以下ピンボケ)を、書庫と化した元息子の部屋から引っ張り出し、毎夜パラパラやり出した。復読に耐えうる名著だとあらためて思う。

この書、自らの記憶に間違いが無ければ、2003年の発売日に、大阪梅田の茶屋町LOFT(7階?)のCDショップ「WAVE」隣接の書店で購入したはずだ。

90年代。後に「渋谷系」と括られる文化に呼応した品揃えのWAVEで、新旧ジャンルを横断した沢山のレコードやCDに出会い、隣接する書店(カンカンポワ・ドゥ?)に犇めくように並ぶマニアックな音楽図書に毎度圧倒されていた。

どなたかがツイートで、当時関西にいたじぶんたちは「渋谷系」ならぬ「茶屋町系」だった、と書かれていて膝を打ったのだが、まさしくじぶんも「茶屋町系」を謳歌していたひとりであった。残念ながら2005年にWAVEは閉店してしまい、以降、テアトル梅田で映画を観る時以外、茶屋町には縁遠くなってしまった。

失礼ながら、当時は安田謙一信者ではなかったので、全国のピチカート・マニアと同様、小西康陽オビに惹かれ「ピンボケ」を購入したのだと思う。

そして頁をめくり、これまた我がバイブル「これは恋ではない」同様、晶文社ヴァラエティ・ブック・スタイルに歓喜したのであった。

読み進めていくうち、完全に「そっち系」(どっち系?)と勝手にレッテルを貼っていた小西・安田両者の趣味嗜好の違い(小西オビにも記されているが)に、正直驚いたものだ。ただ、お二方の書に共通する音楽(あるいは文学や映画)に対する熱量は間違いなく等価だった。そして何よりスタイルこそ異なれど、その文才の素晴らしさも!

以降、安謙コラムを全力(半力?)で追いかけ、知らないバンド名は「なんとかズ」で誤魔化し、2014年のエルマガジン社『ひとりで歩く神戸本』の「市バスで散策。」に涙し、2015年『神戸、書いてどうなるのか』では全編嗚咽、2018年のSAVVY12月号「関西の本屋」特集「安田謙一×口笛文庫」に号泣したものである。いやこれホント。

氏のコラムや著書でのみ知った、ときにキッチュでカオスな神戸の名店の数々。じぶんの職場が神戸であったことに感謝する日々は今もまったく変わらない。ブックストア、じゃなく、丸玉食堂で待ち合わせ。

剣さん歌うところの

面白いことなんて自分次第でエフェクトれ

を安謙さんもここ地元神戸で体現しているのだ。

ある時、長田区のドーム型最強喫茶店「ぱるふあん」でマスターに「安田謙一さんの影響で伺いました」と告げたところ、「ハアあの方ね。そうですか」と如何にも気のない返事に苦笑した。それもまた良き思い出。

またある時は、新開地の「上崎書店」で古書を漁っていると、背の高い茶髪の男性が入店してきて、あっという間に出ていかれたのだが、アレってもしかしたら安謙さん?とアタマがクラクラし出し、店を飛び出したがあとの祭りだった(人違いかもしれませんが)。すぐにピンとこなかった邂逅。開高健からロバート・キャパへ。ちょっとピンぼけ。なんそれ。

以来、いつ会ってもいいように、古書店巡りの際は「神戸、書いてどうなるのか」をバッグに忍ばせるようになった。「ピンボケ」は少し重たいので。

CKBのっさんと「グリル一平」本店で偶然お会いし、お写真までご一緒出来たのも、神戸(SOUL)電波、安謙さんのお陰と勝手に感謝しているのだ。

と、ここまで熱い吐露の後、まったくもってお恥ずかしいのだが、最近になって「ピンボケ」の編者、樽本周馬氏のメルマガを拝読し、「ピンボケ」誕生秘話に触れ、目から鱗、否「ウノコー」(またはモトコー)が落ちたのだった。

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一番驚いたのはこの部分。

私自身ヴァラエティブック は大好きなのだが、オブセッションと言えるような思い入れはない。『ピントがボケる音』で導入したスタイルはあくまで「それしかない」からそうしたまでで
──とはいえ、四段組の字数や版面、使用字体など晶文社の本とまったく同じにするという完コピに近いノリでやったので
(略)
で、安田さんはというと、ヴァラエティブックにはあまり思い入れはなく、なにしろどんな体裁がいいかと相談していたときに「こういうのがイイネ!」と言ったのが、ばばかよ著『ピクニッキズム』(扶桑社)だったので。 

 なんと両者、ノット・オブッセッションだったのである。トッドで例えるなら『Deface The Music』じゃなく『Faithful』だったってこと?←ナンノコッチャ。

いずれにせよ、稀代の名編集者「樽本周馬」の手腕無くして、この名著が誕生しなかったことに変わりはない。長年の読者としてあらためて感謝したい。続編「もっとピントがボケる音」を、読まずに死ねるか、である。

周馬と謙一。私にとってこのデュオ、「地元」じゃなくても負け知らず、だ。それは17年経ってもまったく揺らぐことがない。そしてここで言う地元は「灘区」とも変換出来る。