また何かそして別の聴くもの

だらだら坂から - 日々のヴァラエティ・ブック

マラソンをさぼる。

昨日もぼんやりと24時間テレビを眺めていた。昨年に引き続きのコロナ禍での強行に、今年も辛辣な内容のツイートが目立つ。いや、コロナ前からも、やれ「感動ポルノ」とか、「見世物小屋」とか、言われたい放題の番組ではある。恒例のマラソンも、途中でタクシー移動しただの、ワープしただの(笑)、きな臭い噂も絶えない。じぶんもかつては批判組寄りの考え方だった。

ある日、実家近くの障害者施設に、24時間テレビ寄贈の福祉車両が止まっていたのを見かけ、こんな片田舎にもとすこし驚いた。また、偶然に観た、ある難病の兄弟のVTRに、じぶんでも驚くほど大号泣してしまったこともある。本当に涙が止まらなくなって困った。偽善だ何だという批判そのものからは、これほどの涙は生まれない。

そんなこんなで、いつの間にやら、(正直、時々流し観ではあるが) 毎年欠かさず、家族で24時間テレビを観るようになった。

歳を重ね、だんだんと涙脆くなっているせいでもあるのだろう。だからといって、日々感動を欲しているわけでもないし、愛が地球を救える、とも決して思わないが、どんな形であれ、人のために行動する、という行為は称賛に値すると思う。

君は人のために死ねるか」と歌ったのは杉良太郎だが、君は出演者と同じように頑張れるか?と問われても到底無理であろう。

とは言え、「負けないで」が歌われる時間帯のトホホ感は、今年も予定調和的に押し寄せてきた。

惰性と感動が一緒くたの、夏の終わりを告げる風物。我が家にとってはそういう位置づけの番組だ。それは「鳥人間コンテスト」も同じ。番組が終わってしまうときっと寂しいはず。

自堕落な生活から一念発起し、ジョギングウェアやランニングバッグ、シューズなど一式を揃え、さあ今日から走るぞと意気込んだ日から僅か2日でリタイヤした昨年の夏。グッズを買い集める日々が一番楽しかった、と振り返った際の妻の冷めた瞳たるや。今それら一式は、部屋の片隅のハンガー・ポールに寂しく吊るされている。よく考えれば、そんな人間に「24時間テレビ」を語る資格など全くないのであった。

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今日のおやつは、焼き立てパン トミーズのきなこドーナツ。またも始まった一週間の景気づけに。