また何かそして別の聴くもの

だらだら坂から - 日々のヴァラエティ・ブック

清張松本がすべらない話

昨日は半年おきの検査で病院へ。結果は悪くなく、ほっと胸を撫で下ろす。これで次は一年後となった。気を良くした午後、お気に入りのパン屋に行き、夏野菜のサンドウィッチ、カレーパン、などを買った。自宅のリヴィングでそれらを頬張りながら、呑気にTVを眺める。いいご身分だ。

関西も雨が降り続き、ニュースはやれ線状降水帯が、とか、やれ土砂崩れの危険が、と物騒がしい。やがて画面がスワイプされ、やれSDGsや、やれサスティナブルと、トーン明るめのトレンド紹介が始まる。

両者に密接な関連性があるのは十二分に理解するが、こうやって眺めているとまるで別次元のおハナシ。トゥー・ウェイ・ストリートだ。

部屋の湿度計を見ると65%まで上昇している。じとじと、じめじめ。こんな時は、やはり松本清張を読むに限る。「ONE AND ONLY これっきゃない!」かつての中山美穂もこう叫んだはず。古いですね。

氏の著作を開くや否や、瞬く間に因果深い靄が立ち込め、濁流の様な愛憎行路に翻弄される。世俗から瞬時に離脱し、路傍の雑草の如く独り書に耽る歓楽は何事にも代え難い。

とはいえ、自分が清張さんを読みだしたのは、2018年と遅く、これまた偉そうな事は決して語れない。さらに、いま現在で読了したのは短編含め100本強というところ。「点と線」は読了したが、ア・ホール・清張の「点と線」はまだ全然繋がっていないのだ。

遠ざけていた理由はひとこと「ドメスティックに過ぎる」コレに尽きる。あの崖のラストシーンに象徴されるサスペンス劇場のマンネリズム家政婦は見た!などの大衆感。著者近影に見る重厚な文豪象、あの唇(失礼)。メディアから放出されるそれら全てのイメージに、長い間食指が動かなかった。

しかし遠ざけていた理由をひとことで語れても、惹かれた理由をひとことで語るのは難しい。

たまたま手にした「スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎001」(東野圭吾 編)に収録されていた「新開地の事件」と、「宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション」が、その重い扉を開いてくれたのだった。

特に後者、宮部先生いち押し「一年半待て」「地方紙を買う女」「理外の理」などのセレクションに激しく打ちのめされる。

なぜ今まで読んでこなかったのか、悔やんでも悔やみきれなかったものの、今後読めるとされる荒野は広がった。なにしろ(情報によっては)700もの作数があるのだ。その質量を思うとじんわり多幸感が押し寄せる。

これほどにまで急速に惹かれた理由を、ひとことで述べるのは酷というものだ。

ところが、実にあっさりと浅田次郎さんはこう記している。

なぜか懐しい。懐しいばかりか、少しも古びてはいない。風景描写などはことさらないのに、ありありと時代の景色を読み取ることができる。

感服。