また何かそして別の聴くもの

だらだら坂から - 日々のヴァラエティ・ブック

アンドロイドは林檎農園の夢を見るか

長年使い続けてきたandroid端末に別れを告げ、この春、人生初のiPhoneに機種変更した。本当に人生初、なのである。初代Galaxyから始まった自らのスマホ・ヒストリーは、ソニーXperiaがその大半を占めた。

その理由は唯一つ、Walkmanエンジン搭載による音の良さ、にあったのだが、昨年、 ポータブルオーディオプレーヤー「Walkman」そのものを所有したことにより、その拘りはゆっくりと消失していった。

子供たちも成長とともにiPhoneに機種変更しており、一生android端末には戻れない、と豪語する。そんなこんなで恐る恐る、かの林檎農園の重厚(そう)な扉を私はくぐったのである。

使ってみてその体感にまず驚いた。おそろしく滑らかなのである。コレがよく言われるところの、IOS単独管理によるメモリとハードウェアのバランスがもたらすメリットなのか。

そしてバッテリーの持ちも最高だ。朝出勤して夜帰宅後確認しても80%代なのである。何なのだコレは。私はいままで何を使っていたのだ。

しかし冷静に考えてみると、やれウェアラブルバイスや、やれVRやAIやと騒いでいる時代に、今更ながらiPhone本体に興奮しているじぶんがとても恥ずかしい。本当に恥ずかしい。恥ずかしいのだが、早くも口をついて出てしまった。

もうandroidには戻れない。

偏屈な拘りを抱えていたって碌なことはない!

若かりし頃から抱く、メジャーなものには手を出さない、出したくもないという、反ミメティスム的衝動は捨てろ!

まったく、何様?何者?朝井リョウに詰られるがよい!

大衆に多く支持されるものにはそれ相応の理由があるのだ!

お前も今日から大衆だ!

ーーーー 吹き荒れるアジテーションに耳を塞ぐ。

性愛がテーマの短編を二本読む。

連城三紀彦「ひと夏の肌」。人生を半分投げた絶倫男性(笑)は、昨夏に失ったとされる記憶を取り戻す旅に出る。通勤電車内ではちょっとツラいクセスゴ性描写(笑)。

吉行淳之介「あいびき」。こちらがカップリング曲(笑)。やや筒井康隆テイストのショート・コント。最高。

今日のおやつは、神戸が誇るブーランジェリー・レコルト本店の「大人のチョコパン」。ココの食パンをゲットするのは至難の業。

www.pain-recolte.com

月曜の夜も出たくない

台風の影響で大荒れの連休四日目。明日から三日間は出勤。

月曜が祭日の際は、火曜朝一の会議のデータ資料準備が必要で、たかだか一時間の作業のためだけにいつも休日出勤している。

しかしいざ出かけようとすると、おそろしい暴風雨。やはり昨日出勤すればよかったと悔やむ、のだが、日曜日に出勤することはどうしても億劫になるのだった。心の中の弘兼憲史に叱咤されようが、出ずに済むのならそうしたい日曜日。

日曜の夜は出たくない。もちろん昼も出たくない。

倉知淳の著作が浮かび、積ん読タワーをチェックすると、なんとなんとタワー1冊目が「日曜の夜は出たくない」だった。ちょっとぞわっとした。

猫丸先輩シリーズ第1作目。読んだ気になっていた一冊。表題作を覗くとやはり未読だった。

それにしても初版1998年。留守番電話。短縮ダイヤル。交通手段もそうだが、通信機器の進化や変貌は、物語の進行速度に大きく影響を及ぼすことを思い知る。

清張さん等が描く50~60年代の社会背景は、アタマから大きくバイアスがかかっているのか、そこまで気にならないのだが、80~90年代の文学には時折引っ掛かる箇所が。あえて書かれている「ブラウン管」とか。

そういえば昨夜、オリンピックの閉会式でも流れ話題になった「東京は夜の七時」もセルフカヴァーの際、<留守番電話が突然>から<携帯電話が突然>に歌詞が書き換えられている。いま、この言葉(歌詞)は、という小西さんのジャッジなのでしょうが、そこに至った解説を是非いつか読んでみたいものです。

週刊文春8月12・19日夏の特大号。気になっていた小林信彦さんの特別インタビューが読みたくて購入。文春図書館は、知の巨人「立花隆」追悼スペシャル。この人は一冊も読んだことがない。ぼくはこんな本を読んできた、は読んできた。

ほかにも、田中小実昌「夏の日のシェード」。コミサンのせつないせつない短編。ため息が出た。伊坂幸太郎アイネクライネナハトムジーク」。

今日のおやつは、おらが村自慢のパン屋さん「バックハウス・イリエ」の丹波黒豆のクリームチーズ大福。漁を終えた舟が帰り着くのが入江。いまさら出勤なんて。

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シューマ幻想小曲集

今日も晴れ。連休三日目。昨日に引き続き、新潮2021年9月号をパラパラやっていた。水村美苗「大使とその妻」という新連載。2021年3月号「創る人52人の『2020コロナ禍』日記リレー」にも参加されていた水村さん。

「つまらなかった」松本清張『点と線』(映画版?)を観たあと、ピアノでシューマンを練習した、とある。何事も達者なイメージを抱く作家のひとりだ。

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そしてこちらは、シューマンならぬシューマ(サン)。手前所有の樽本周馬WORKS。どの書籍にもこの編集者のパッションを感じる。今後も熱量そのまま、国書刊行会を牽引してくれるはず。

右から
安田謙一『ピントがボケる音』
長谷川町蔵山崎まどか『ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて』
浅倉久志『ぼくがカンガルーに出会ったころ』
武藤康史『文学鶴亀』
片岡義男小西康陽『僕らのヒットパレード
近田春夫『僕の読書感想文』

今日のおやつは、阪急伊丹駅近くのブーランジェリー・グリムの、ブルーベリーとクリームチーズのパン。美味すぎて声を上げてしまった。

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サマータイム・ブルース

今日も晴れ。連休二日目。西淀川区のパン屋さん(?)、大豆◯、ならぬ「こまめ商店」へ。あずき溢れるマリトッツォやおはぎパン、豆乳食パンが最高な、関西パンフリークの隠れスポットなのだ。

しかしなんと本日休業。土日休業をすっかり忘れていたのだった。うっかりさん。田中裕子さんならきっと絵になるのに。

昨日といい今日といい、ちいさな「がっかり」や「うっかり」がボディブローのように効いてくる夏休み。

帰路の古本市場で、山田詠美編「せつない話 第2集」(光文社文庫)、村上龍編「魔法の水 現代ホラー傑作選 第2集」(角川ホラー文庫)、椎名誠選「家族の絆」(光文社文庫)を購入。すべて80円。三冊とも堪らないセレクション。未読も多い。連城三紀彦「ひと夏の肌」、田中小実昌「夏の日のシェード」に惹かれる。連休中の夜は長い。

 家へ帰ると、昨日注文した新潮2021年9月号がもう届いていた。いっきに機嫌が直る。特集「わたしの『新しい生活様式』」の町田康にストンとハマってしまった。タイトルはあれれの「世間に迎合」。パンク・ロッカーかく語りき。

もう一冊、長谷川町蔵, 山崎まどか著「ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて」も。表紙を見るや否や、一気にジョン・ヒューズ映画ドーパミンが押し寄せてきたので、勢いそのままAmazon Prime Videoで「ブレックファスト・クラブ」(1985)を鑑賞してしまう。エミリオ・エステヴェスモリー・リングウォルドの素晴らしさ!シティポップを聴くようにヒューズ映画を堪能した。

夕方になり、TVのニュースを今日まったく観ていないことに気付く。いまはそれが正解かも。外に出て空を見上げたら、低い積乱雲が怖いくらい広がっていた。

イはイニシエーション・ラブのイ

今日から四連休。故郷の母親の調子が予想以上に良いので、帰省は自粛ということになりそう。帰省に限らず、いま、何かを選ぶ、という行為は、すべて答えのないクイズのようだ。

同じく今日から連休で、西宮ガーデンズに買い物に出かけると言っていた娘が、面倒くさくなってきた、という理由でゴロゴロしだしたので、釣られてゴロゴロしてしまう。

買ってきていた芦屋の大好きなパン屋「Pan Time」のパンを肴にステイホーム。蒸し栗バターが最高。丸いフランスパンにたっぷりの蒸し栗ペーストとバターをサンドしている一品。コレもまた、人をダメにするシリーズだ。

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 本日発売のお楽しみ、新潮2021年9月号は、創刊1400号記念特大号。「パンデミックを二度体験した文芸誌の最新表現」ときた。錚々たる作家名が黄色い表紙に並んでいる。

散歩がてら、自宅近くの書店を訪ね、文芸雑誌のコーナーを覗くも見当たらず。まさか売り切れ?慌てて問い合わせると、取り扱いなしとのこと。もう一軒も入荷なし。がっくり。

月刊新潮ってそうなのか。この街、尼崎では売れないというジャッジなのか。そういえば以前は三ノ宮で買ったな。仕方なくアマゾン様でポチる。

近所の古本市場で、筒井康隆「鍵―自選短編集」 (角川ホラー文庫)、津村記久子「とにかくうちに帰ります」 (新潮文庫)、オール讀物2021年3・4月合併号を購入。いずれも80円也。オール讀物は、未読の西條奈加『心淋し川』が収録されていたので。

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それにしても、大型古書店の「い」のコーナーに常にスタンバってる、乾くるみイニシエーション・ラブ」はすごい。どれだけ売れたんだ。これはもはや「乾くるみ」の「い」ではなく、イニシエーション・ラブの「い」の印象のほうが強い。ウは宇宙船のウ、レイ・ブラッドベリもそう言ってる。イはイニシエーション・ラブのイ。

あと、「い」のコーナーに同じくスタンバってる、いしわたり淳治「うれしい悲鳴をあげてくれ」もすごいが。もはや見かけても、うれしい悲鳴は上がらない。

逆に「あ」のコーナーに、安西水丸赤瀬川原平が少ない不満。これは極めて個人的な不満だ。

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原平合戦

今日も晴れ。夏本番。しかし相も変わらずの自宅と仕事場の往復に、心躍る機会は少ない。そしてさすがに、メダルの獲得数と新規感染者数のフリップを交互に眺める日々はとても辛い。みんな街角のペシミスト。故郷の冬を歩きたくなる。
西宮北口駅で下車し、ショッピングモールACTA西宮の無印良品で文庫本カバーを購入する。帆布とデニム生地のとがあるが、じぶんが買うのはいつもデニム。ごわっと全体が分厚くなる感触が好きだ。413円也。いつかポスタルコの文庫本カバーが欲しいと思いつつも、結局この商品のヘヴィー・ユーザーである。
同じくACTA西宮東館の1階にある『古本2階洞』という古書店へ。スーパーとか、食料品店の並びの片隅にある不思議なお店。いつも御年配の女性が店番をしている。この方がオーナーなのだろうか。
この店で、尾辻克彦「父が消えた」 (河出文庫)を購入。400円也。たしか文春文庫版を持ってたはずがーと逡巡の末の出費。「尾辻克彦」とは、ご存知「赤瀬川原平」の純文学作家としてのペンネーム。表題作の前半、付き人との応酬合戦が最高なのだ。軽快に溢れくる示唆に富んだフレーズ群には唸るしかない。赤瀬川ワールドの魅力とは、その軽快感、存在の耐えられる軽さ、なのだ。まだまだ他のも読んでみたい。
「いや、旅行というのはただ動けばいいんだなと思って」
「動く」
「動くといってもね、いつもと反対に動く。いつもと反対に動けば旅行ができる」
「うわ、それ、教訓みたいですね」
「うーん教訓というか、でもこれ、やっぱり意外と教訓だよ」
「反対運動ですね」
「そうだ。反対運動だねこれは。反対運動は旅行だね。たとえばね、えーと、たとえばね、自分の家の便所に行くのにね、廊下を行かずに天井裏をはって行く」
それにしても旅行すら憚られる今日このごろ。ちょっとそこまで、なら許されるのか。まずは今日あたり、帰路と逆のホームに立ってみようか。
妄想はつづく。
かくして西へ西へと列車は走り続け、たどり着いたのは壇之浦古戦場跡。夏草や兵どもが夢の跡。「父が消えた」と家族が騒ぐのは翌朝頃だろう。

周馬と謙一、または、ちょっとピンボケ。

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何がきっかけというわけではないが、安田謙一著「ピントがボケる音」(以下ピンボケ)を、書庫と化した元息子の部屋から引っ張り出し、毎夜パラパラやり出した。復読に耐えうる名著だとあらためて思う。

この書、自らの記憶に間違いが無ければ、2003年の発売日に、大阪梅田の茶屋町LOFT(7階?)のCDショップ「WAVE」隣接の書店で購入したはずだ。

90年代。後に「渋谷系」と括られる文化に呼応した品揃えのWAVEで、新旧ジャンルを横断した沢山のレコードやCDに出会い、隣接する書店(カンカンポワ・ドゥ?)に犇めくように並ぶマニアックな音楽図書に毎度圧倒されていた。

どなたかがツイートで、当時関西にいたじぶんたちは「渋谷系」ならぬ「茶屋町系」だった、と書かれていて膝を打ったのだが、まさしくじぶんも「茶屋町系」を謳歌していたひとりであった。残念ながら2005年にWAVEは閉店してしまい、以降、テアトル梅田で映画を観る時以外、茶屋町には縁遠くなってしまった。

失礼ながら、当時は安田謙一信者ではなかったので、全国のピチカート・マニアと同様、小西康陽オビに惹かれ「ピンボケ」を購入したのだと思う。

そして頁をめくり、これまた我がバイブル「これは恋ではない」同様、晶文社ヴァラエティ・ブック・スタイルに歓喜したのであった。

読み進めていくうち、完全に「そっち系」(どっち系?)と勝手にレッテルを貼っていた小西・安田両者の趣味嗜好の違い(小西オビにも記されているが)に、正直驚いたものだ。ただ、お二方の書に共通する音楽(あるいは文学や映画)に対する熱量は間違いなく等価だった。そして何よりスタイルこそ異なれど、その文才の素晴らしさも!

以降、安謙コラムを全力(半力?)で追いかけ、知らないバンド名は「なんとかズ」で誤魔化し、2014年のエルマガジン社『ひとりで歩く神戸本』の「市バスで散策。」に涙し、2015年『神戸、書いてどうなるのか』では全編嗚咽、2018年のSAVVY12月号「関西の本屋」特集「安田謙一×口笛文庫」に号泣したものである。いやこれホント。

氏のコラムや著書でのみ知った、ときにキッチュでカオスな神戸の名店の数々。じぶんの職場が神戸であったことに感謝する日々は今もまったく変わらない。ブックストア、じゃなく、丸玉食堂で待ち合わせ。

剣さん歌うところの

面白いことなんて自分次第でエフェクトれ

を安謙さんもここ地元神戸で体現しているのだ。

ある時、長田区のドーム型最強喫茶店「ぱるふあん」でマスターに「安田謙一さんの影響で伺いました」と告げたところ、「ハアあの方ね。そうですか」と如何にも気のない返事に苦笑した。それもまた良き思い出。

またある時は、新開地の「上崎書店」で古書を漁っていると、背の高い茶髪の男性が入店してきて、あっという間に出ていかれたのだが、アレってもしかしたら安謙さん?とアタマがクラクラし出し、店を飛び出したがあとの祭りだった(人違いかもしれませんが)。すぐにピンとこなかった邂逅。開高健からロバート・キャパへ。ちょっとピンぼけ。なんそれ。

以来、いつ会ってもいいように、古書店巡りの際は「神戸、書いてどうなるのか」をバッグに忍ばせるようになった。「ピンボケ」は少し重たいので。

CKBのっさんと「グリル一平」本店で偶然お会いし、お写真までご一緒出来たのも、神戸(SOUL)電波、安謙さんのお陰と勝手に感謝しているのだ。

と、ここまで熱い吐露の後、まったくもってお恥ずかしいのだが、最近になって「ピンボケ」の編者、樽本周馬氏のメルマガを拝読し、「ピンボケ」誕生秘話に触れ、目から鱗、否「ウノコー」(またはモトコー)が落ちたのだった。

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一番驚いたのはこの部分。

私自身ヴァラエティブック は大好きなのだが、オブセッションと言えるような思い入れはない。『ピントがボケる音』で導入したスタイルはあくまで「それしかない」からそうしたまでで
──とはいえ、四段組の字数や版面、使用字体など晶文社の本とまったく同じにするという完コピに近いノリでやったので
(略)
で、安田さんはというと、ヴァラエティブックにはあまり思い入れはなく、なにしろどんな体裁がいいかと相談していたときに「こういうのがイイネ!」と言ったのが、ばばかよ著『ピクニッキズム』(扶桑社)だったので。 

 なんと両者、ノット・オブッセッションだったのである。トッドで例えるなら『Deface The Music』じゃなく『Faithful』だったってこと?←ナンノコッチャ。

いずれにせよ、稀代の名編集者「樽本周馬」の手腕無くして、この名著が誕生しなかったことに変わりはない。長年の読者としてあらためて感謝したい。続編「もっとピントがボケる音」を、読まずに死ねるか、である。

周馬と謙一。私にとってこのデュオ、「地元」じゃなくても負け知らず、だ。それは17年経ってもまったく揺らぐことがない。そしてここで言う地元は「灘区」とも変換出来る。